「どうせ」を「どうせなら」へ

 以前に聞いた話なのですが、阪神淡路大震災では寒かったこともあり、全国から毛布が送られてきたそうです。しかし中にはひどく汚れた、捨てた方が良いようなものも少なくなかった。当然、被災者の人たちは新品の毛布を欲しがった。ところが中古なのに新品よりも人気のある、不思議な毛布があった。

それには手紙が入っていたのです。「これは新品ではありませんが、気持ちよく使ってもらえるよう、3日間天日干ししたものです。こんなものでよろしければお使いください」その心遣いが、中古の毛布を「けがれ」から「ぬくもり」へと変えたらしい。人の心がけ次第で、印象がガラリと変わるということか。中古の汚れた毛布を送ってきた人は「どうせ被災者の人たちは寒くて仕方ないんだから、捨てようと思っていたこの毛布でもいいか」と思ったかもしれない。手紙を入れて送った人は「どうせなら天日で干して少しでも気持ちよく眠れますように」と願いを込めたのでしょう。

 「どうせ」と「どうせなら」の違い。

勉強でも「どうせ、今週の試験をクリアすればいいでしょ」という気持ちでやるよりも、「どうせなら、1年後も覚えていられるような勉強法」でやったらいいと思う。だって、大学入試の範囲であることは変わりないんだから。部活でも「どうせ、先輩がレギュラーでいるうちは試合に出られないから…」という気持ちで練習している後輩がいるチームと、「どうせなら、先輩に万が一のことがあったら、自分が助けてあげるんだ」という気持ちで練習するのでは、どちらのチームが強くなるだろうか。おそらく、先輩にアクシデントがなくても、後輩たちのレベルが上がることで、先輩たちのレベルもさらに上がって、チーム全体が強くなるのではないか?

 保護者としての考えも「どうせ、入試は本人次第」だから、本人がやらないなら仕方ないと思ってしまうこともあるでしょう。「このままでは、失敗してしまうだろうな・・・」とわかっているけど、なかなか口出しできない時がある。結果的に「失敗することもまた勉強」と、ちょっと捻じ曲げちゃって(踏み込むことに躊躇して)、傍観しちゃう自分に言い訳をつくりたがることもあります。

 でも、「どうせなら、一緒に入試を乗り越えよう」と考えることもできます。自分が入試問題を解くことはできないし、勉強も代わりにしてあげられないけど、一緒に戦っている気持ちになって寄り添うことはできる。

もう高校生だけど、、、口出しはしなくても、、、我々もイチ予備校に過ぎないけど、、、

「どうせなら」最高の大学入試体験を共有したいと思っています。

0